琉球の文化の恩人「徐葆光」その人物像と触れあいからたどる、琉球の姿。
中国皇帝が新しい琉球国王を任命するため派遣した冊封使・徐葆光が、琉球を訪れた1719年は、琉球も中国も日本も安定した時代に入っていた。平和と安定からは、文化が花開く。徐葆光が訪れた未知の国「琉球」は、中国皇帝の徳を讃える儀礼の邦であった。歓待の宴の中には、現代の沖縄の料理や伝統芸能の基礎となるものが数多く芽生えていた。それらに感嘆した徐葆光は、琉球のすべてを描き写そうと、細部に至る記録書と漢詩集を書き綴っていった。そこには心と心で結ばれた交流と、華やかなりし琉球王朝の姿があった。
中国皇帝が新しい琉球国王を任命するため派遣した冊封使・徐葆光が、琉球を訪れた1719年は、琉球も中国も日本も安定した時代に入っていた。平和と安定からは、文化が花開く。徐葆光が訪れた未知の国「琉球」は、中国皇帝の徳を讃える儀礼の邦であった。歓待の宴の中には、現代の沖縄の料理や伝統芸能の基礎となるものが数多く芽生えていた。それらに感嘆した徐葆光は、琉球のすべてを描き写そうと、細部に至る記録書と漢詩集を書き綴っていった。そこには心と心で結ばれた交流と、華やかなりし琉球王朝の姿があった。